戦国武将クイズ 桶狭間から関ヶ原まで
桶狭間の戦い、長篠の戦い、本能寺の変、刀狩、独眼竜、川中島、関ヶ原、三本の矢。戦国時代の武将と出来事を8問で振り返ります。

15世紀後半から16世紀にかけて、各地の武将が勢力を争った時代を戦国時代と呼びます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人を中心に、天下統一へと向かう流れは、ドラマや小説でもおなじみです。
このクイズでは、戦国時代の主な戦いと武将について8問を出題します。逸話の中には後世に作られたとされるものもあるため、解説では史実と伝承の違いにも触れています。
Q11560年、織田信長が少ない兵で今川義元を破った戦いはどれでしょう?
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正解:C.桶狭間の戦い
正解は桶狭間の戦いです。駿河(現在の静岡県)などを治めていた大大名・今川義元を、尾張(現在の愛知県西部)の織田信長が討ち取りました。この勝利をきっかけに、信長は勢力を大きく伸ばしていきます。
Q21575年、織田・徳川の連合軍が武田勝頼の軍を破り、鉄砲が効果的に使われたことで知られる戦いはどれでしょう?
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正解:B.長篠の戦い
正解は長篠の戦い(長篠・設楽原の戦い)です。連合軍は馬防柵を築き、多数の鉄砲を用いて武田軍を迎え撃ちました。鉄砲隊が交代しながら撃つ「三段撃ち」の話が有名ですが、その実態については研究者の間でさまざまな見方があります。
Q31582年、京都の本能寺に滞在していた織田信長を襲った武将は誰でしょう?
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正解:B.明智光秀
正解は明智光秀です。この事件を「本能寺の変」といいます。光秀が謀反を起こした理由については、さまざまな説があり、現在もはっきりとはわかっていません。光秀はその後、山崎の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗れました。
Q4豊臣秀吉が、農民から刀や鉄砲などの武器を取り上げた政策を何というでしょう?
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正解:D.刀狩
正解は刀狩(1588年)です。一揆を防ぎ、農民を農業に専念させることがねらいでした。同じく秀吉が行った太閤検地(田畑の広さや収穫量の調査)とあわせて、武士と農民の身分の区別がはっきりしていきました。楽市・楽座は信長などが行った商業政策です。
Q5「独眼竜」と呼ばれ、仙台藩の基礎を築いた武将は誰でしょう?
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正解:B.伊達政宗
正解は伊達政宗です。幼いころの病気で右目を失明したことから「独眼竜」と呼ばれました。仙台城を築いて城下町を整え、家臣の支倉常長をヨーロッパへ派遣した(慶長遣欧使節)ことでも知られています。
Q6「甲斐の虎」武田信玄と、川中島で何度も戦った越後の武将は誰でしょう?
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正解:B.上杉謙信
正解は上杉謙信です。現在の長野県長野市付近で、両者は十数年にわたって何度も戦いました(川中島の戦い)。謙信が信玄に塩を送ったという「敵に塩を送る」の逸話もよく知られていますが、これは後世に広まった話ともいわれています。
Q71600年の「天下分け目の戦い」関ヶ原の戦いの古戦場がある県はどこでしょう?
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正解:D.岐阜県
正解は岐阜県(不破郡関ケ原町)です。徳川家康を中心とする東軍と、石田三成を中心とする西軍が戦い、東軍が勝利しました。関ケ原町には、合戦を学べる「岐阜関ケ原古戦場記念館」があります。
Q83人の息子に「1本の矢は折れやすいが、3本束ねると折れにくい」と結束を説いたという「三本の矢」の逸話で知られる武将は誰でしょう?
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正解:B.毛利元就
正解は中国地方を治めた毛利元就です。ただし、この逸話は後世に作られた話と考えられています。元就が息子たちに一族の結束を説いた「三子教訓状」という手紙は実際に残っており、そこから広まった話だといわれています。
結果
0 / 8問 正解
史実と伝承を分けて楽しむ
戦国時代の武将には、魅力的な逸話がたくさん残っています。しかし、その多くは江戸時代以降の軍記物語や講談によって広まったもので、史実かどうかがわからないものも少なくありません。歴史を楽しむときは、「史料で確かめられること」と「後の時代に語られたこと」を区別して見ると、より深く楽しめます。
関連する資料
- 文化庁「文化遺産オンライン」
- 岐阜県関ケ原町「岐阜関ケ原古戦場記念館」
- 愛知県豊明市・名古屋市の史跡案内
- 山口県「毛利元就」関連資料